私の介護体験記

くまのプーさん事件

祖父母との同居はWin-Winの軽い気持ちからでした。小学生の頃から、しょっちゅう泊まりに来ていた祖父母宅。居心地が良く、ポータブルトイレ2台の始末も苦に思ったことはなかったです。祖母は家の中で四点歩行器を使っていました。セニアカーで道路の真ん中を爆走したことがあったため、「カギは無くなった」ことにしていました。祖父は1人で買い物にも行け、自立度は高かったのです。ところが少しずつ身体も認知機能も衰えていきました。

お風呂が大好きだった祖母でしたが、浴槽から出るのが難しくなりました。ある日、仕事から帰ってくると、家の中が暗いのです。玄関を開けてドキッとしました。祖母が廊下に足を投げ出して座り込んでいました。伝い歩きでトイレに行こうとして、体重を支えきれなくなったのです。その後、仕事中も心配でドキドキすることが続き、寄り道せず帰るようになりました。この出来事を「おばあちゃん、くまのプーさん事件」と名付けることで、笑いに転化しました。BMI 30近くあって、とぼけたような表情も似ていたのです。これを機に、もし夜に座り込んでも明かりが点けられるよう、蛍光灯の紐を長く伸ばしました(リモコンより確実です)。

祖父は夜9時に寝てしまう人でしたが、祖母は遅くまでテレビを見ているのが日課でした。退屈だったせいもあるでしょうけど、私は仕事に差し支えるので早く寝て欲しかった(笑)。動く気配がすると転倒が怖くて寝付けません。ラジオを聴きたいというので、ヘッドホンを買い、祖母の頭に装着しておやすみなさいを言うのが日課になりました。

同居が続けられたのは、2人とも感謝の言葉を素直にはっきりと、伝えてくれたからでした。おかずを作れば「おいしい!」、蒸しタオルを当てれば「ああ、気持ちいいなあ」と。気持ちいいくらい自然に表現してくれました。

辛かったのは睡眠不足です。帰宅したら山盛りの家事が待っています。梅雨時期はコインランドリーで睡魔とたたかっていました。日曜日、朝食の支度に起きるのが苦痛でした。もし介護休業制度があったなら、真っ先に利用したと思います。有休は使えませんでした——。

浜北医療生協では、常勤も非常勤も有給休暇が使えます。上司から勧めてくる慣習があるくらいです。労働組合がなかったら、医療生協といえども申請しづらく緊急時しか使わない、あるいは取れる人(部署)と全然取れない人がいるということも起こり得ます。「有給休暇とるのが当たり前」という企業風土は、事業所別に取得状況を公表させるなどしてきた長年の労使交渉の成果です。今後も取得率向上を目指します。

次号では、利用していたサービスと、家に出入りしていた医療・介護職を紹介したいと思います。
(2023年5月 ニコニコ通信Vol.3)

2024/8/31