私の介護体験記

ヘルパーさんとの出会いは宝物

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——この連載も3回目となりました。
祖父母宅には、たくさんの専門職が出入りしていました。訪問診療をはじめとして、7~8種類ものサービスを使い分け、担当者会議も開かれました。当時は、まだ介護事業所が少なかったのか、デイサービスは最大5カ所を併用、ショートステイも3カ所併用していました。
(絶対にナイショですけど、カギを秘密の場所に隠していました)

——いちばん身近に感じていた専門職は何でしたか?
はい、よくぞ聞いてくれました。ダントツでヘルパーさんでした。
病気が進行して体が不自由になり、だんだんと寝たきり状態に。通所を減らした最終盤には、最大6人のヘルパーさんが日曜を除いてほぼ毎日ケアに入ってくれました。
「リンゴは銀杏切りですか、くし形切りにしますか?」と聞かれて、何のことかわからないほど料理に疎い独身男性を、あたたかく見守ってくれました。「冷蔵庫に食材がありませんでした。スーパーに買い物に行っていたので、洗濯物を干せませんでした」というメモから、買い出しをするようになりました。「何を作ったらいいですか」と尋ねられ、祖父の好物である「イカと里芋の煮物」をリクエストして「めんどくせ~」と思われたかもしれません。
どのヘルパーさんも個性的でした。ガールスカウトの活動に熱心で、「娘さんが生まれたらぜひ」と勧誘してくる人。介護保険制度が始まる前から介護業に携わっていた筋金入りの人。ケアマネをしながらモニタリングを兼ねてヘルパーを兼任する人。カラフルなバンダナをして、ダントツに料理上手で盛り付けもきれいな人。親の介護をしているときに資格を取り、恩返しとして仕事に就いたという人。「訪問マッサージが約束より時間短いよ、手を抜いているよ」と忠告してくれる人。人間味あふれる人ばかりでした。

——あなた自身がケアされていたということはありますか?
先に言われちゃった(笑)
祖母が病院で亡くなり、家に帰ってきた日、連絡が間に合わずヘルパーさんが訪ねてきてしまいました。顔に白い布をかけられた祖母を見て、嗚咽をもらしたんですけど、そうやって「悲しんでくれたこと」が何より心に残っています。同じように、一カ所だけデイサービスの職員がお悔みに来てくれたんですけど、家族も親族も消耗しているときに、普段通りのほのぼのとした雰囲気をまとったデイの人が来てくれてとても癒されました。「ああ祖母はこの人たちに会いに行っていたんだな」と。迎えの30分前から玄関で待つような、利用を楽しみにしていたデイサービスの職員でした。余談ですが、祖母が元気だったころ「いい人がいるからお見合いしたら」と言われたことがありました。よく聞くと、通っているデイの職員を気に入ったということでした。
嗚咽のヘルパーさんは、話するときに目をパッと開いて真剣な表情で聞いてくれる人でした。診療所の受付で患者さんと向き合うときなど、そのヘルパーさんの姿勢を今でも思い返しています。

あっという間にスペースがなくなりました。
・ケアマネジャーや担当者会議のこと、訪問看護や住宅改修のこと、
・ガン末期の疼痛コントロールと主治医のコミュニケーションのこと、
・在宅医療から療養病院への移行のこと、看取りのこと、最終段階の意思決定のこと
などなど他にも紹介したいことはたくさんありますが、いったん連載は3回で終わります。

お付き合いいただきありがとうございました。これからも、私たちの仕事のことを紹介していけたらと思います。 
(2023年6月 ニコニコ通信Vol.4)

2024/8/31